第1回
 

 春を告げるニワトコ
このエッセイを始めるにあたって、最初に心に浮かんだのはなぜか次の一節だった。
 
それは、ニワトコの花が咲いていてバラが大きなつぼみを持っていたころですから、この地上がいちばん美しくて、人間にとっては、死ぬのがいちばんつらい季節でした。
 
これは、ドイツの19世紀の医師で、独仏戦争に参戦した先から自らの子どもたちに手紙で何篇もの物語を書き送ったリヒャルト・レアンダーの童話集、『ふしぎなオルガン』のなかの、「天国と地獄」という話の冒頭である。
日本の春を告げる桜の花は、その季節にこそ死にたい、と歌を詠んだ西行法師が有名だけれども、ニワトコの花が咲く春の世界は、一番死にたくない季節なんだ、と子ども心にも印象的であったのだ。
ニワトコ(本当は西洋ニワトコ)とは、英語でエルダーといい、白い細かな花をつける木である。花は黒い実を結び、小鳥たちが好んで食べる。春には花を水に浸し、レモン果汁を加えておくと炭酸が発生するので、エルダー・フラワー・コーディアルという飲料を作り、また実のほうもエルダー・ベリー・ジュースやワインにする。ヨーロッパでは毒消しやインフルエンザなどの感染症、花粉症などのアレルギー症候群にも効くということで、古くから薬効のあるハーブとして親しまれてきた。
一説には、キリストを磔にした木だとか、ユダが首を吊った木だとかいう言い伝えもあって、不吉なイメージもまとわりついている。小さな白い花がたくさん咲く様子は妖精の群れを思わせ、妖精の木だといわれるのも、異教的なイメージを増幅させているのかもしれない。『ハリー・ポッターと死の秘宝』において、エルダーの木で作った杖は、非常に強大な魔力を持つものとして登場するが、それもこの言い伝えに基づくものである。
だが、「天国と地獄」のストーリーにニワトコは一切関係なく、この物語は、同じ春に死んだお金持ちと貧乏人が天国にのぼる道で道連れになるという話である。よくあるように、お金持ちのほうは貧乏な人と違ってストレートに天国には行けないのだが、そのあたりに作者のユーモアと皮肉が効いた展開になっている。
この物語集は全体的にとてもキリスト教的でありながら、時代を超えることのできる普遍性を備えていて、しかもレアンダーならではの味わいにあふれた短篇がそろっている。ニワトコを始め、ブナの木、ヒナギクなど、ヨーロッパの森や野原によく見られる木々と花の描写も心に残る。
 
鬼火が沼の妖しいスイレン
ニワトコも記憶に残る植物だったが、もうひとつ、「沼の中のハイノ」という物語は、沼の女王が頭に頂く白いスイレンの花冠が不気味にも印象的であった。狩りの途中で恐ろしい鬼火が沼におびき寄せられ、死人のように青ざめた鬼火の乙女たちにとりこにされた王子ハイノ。 ハトはその様子を次のように知らせる。
 
「鬼火の沼にはまりこみ
鬼火の沼に沈み入り
アシのしげったその沼の
女王の白い手に抱かれ
お気の毒にも
  魔法のとりこ。」
 
王子を愛する少女「青い目さん」は、恐怖にうちかち、鬼火の誘惑にも負けず、自ら沼の中に王子を助けに赴く。鬼火の女王は、白いスイレンの花冠と、うごめく金のヘビの輪飾りをつけていて、王子をとらまえて離さない。「青い目さん」は、鬼火に魅入られて我を失っている王子の、手首を切り落とすことでやっと、王子を救った。彼女の勇気と決断力は、たぶんこの時代にしては大変革新的なものであったに違いない。
ちなみに、幾多もの障害を乗り越えて、ふたりが晴れて結婚式を挙げると、ハイノ王子の手首から不思議にもまた手が生えてくるのであった。
スイレンは熱帯の水生植物であり、ドイツの人々にとってはエキゾチックで魅惑的なイメージがあるのだろう。学名はニンフェーイア、妖精(ニンフ)を示唆する言葉である。しかも、ヨーロッパではスイレン(ウォーターリリー)とハス(ロータス)が混同されることも多い。ギリシャ神話では、ハスの実には現世を忘れ夢見心地になる作用があると信じられており、王子を誘って悪夢の中に閉じ込めようとする沼の女王には似合いの花である。
ちなみに、ハイノ王子は、「青い目さん」との仲を裂こうとしたおきさきの魔法にやすやすとかかってしまって彼女を忘れてしまうし、底なし沼に飲み込まれそうになると、すぐにあきらめて「しずんでしまうよ 青い目さん ぼくはもうだめだ」と嘆くし、女性の機転と勇気に対し、男性がなぜだかたいへん頼りないのだった。
 

 
 
 
 
 


  

 
『ふしぎなオルガン』
リヒャルト・レアンダー
国松孝二/訳
岩波少年文庫
 
 

 
『ハリー・ポッターと死の秘宝』
(上・下)
J・K・ローリング
松岡佑子/訳
静山社