第2回
 

 春の花々とクラリネット吹き
物語が始まるのは、キスゲやウサギギクが咲く山の牧場で、モミイチは寝転んで空を見ている。今日もモミイチの耳には、いなくなった愛馬ツキスミの馬蹄の響きがはっきりと聞こえるのだった。
太平洋戦争で、負傷を負い日本に帰ってきた兵士モミイチは、ツキスミとインドシナで暮らした南方の風景しか覚えていなかった。バナナやパパイアが実り、熱帯の植物が繁茂する異国の地。レモンの木に実が実り、ツキスミと月夜のサンゴ礁を夜光虫を蹴散らして眺めた夜。ひんやりした高原の牧場の風景は、南方のエキゾチックな眺めと対比される。とりわけその植生において。
記憶喪失症と診断され、しかし幸運にも故郷も牧場に帰ったモミイチだったが、ツキスミはもう死んだのだろうと聞かされて、幼い子どものように泣き出した。だれも慰めることはできなかった。それからだった、彼の耳に幻聴が聞こえるようになったのは。
 
牧場の仕事が暇になったある日、モミイチは山道を分け入り、山で暮らしている不思議な人々に出あう。春の花々にあふれる山。コザクラソウ、マツムシソウ、タカネスミレ。
そんな山のお花畑を移動しながら蜂を飼い、クラリネットを演奏する男がいた。また、ヤママユガの繭を集めて養蚕をする一家は弦楽四重奏ができる弦楽器一家。山の川に水車小屋を持つティンパニ奏者。草木染が生業のトランペット、陶器づくりのホルン、狩人のチューバ、角細工をするファゴット……。これら、それぞれの仕事を持った、自由で流れ者の自称「ジプシー」たちは、山の中で暮らし年に一度のお祭りの時に集まり、オーケストラを編成するのだという。
いつしか楽器の名前で呼び合うようになり、モミイチは牛飼いの鈴振りと呼ばれ、仲間に入れてもらった。なぜか彼らは懐かしい南方での戦友たちにどこか似ていた。
一晩を彼らと過ごしたモミイチは、ツキスミの蹄の音の話を語り、だれか知っている人はいないかと尋ねるが、情報は得られなかった。ただ、みんなが同情的で、協力して探してくれると約束してくれた。
オーケストラが練習をしているとき、その音とともに、脳裏に蘇る南の町の思い出と、ツキスミへの思いにがまんならなくなったモミイチはその場を去り、コメツブシロハナの林で迷子になり……そして牧場へ帰ってきてしまった。熱を出して、うなされて。しばらく、モミイチは外へ出ることを禁止された。
 
 
星の花野を駆け巡る
その後、モミイチがいくら探しても、音楽を奏でてさまようジプシーたちは見つけられなかった。
山へ出かけた彼は、季節の花の変容に驚く。クラリネット吹きと最初に会った時には、コザクラソウが咲いていたお花畑はキキョウのうすむらさきに替わり、ワレモコウ、リンドウ、カライトソウ、イワギキョウ、ツルウメモドキなど秋の花しか見つからない。夜になると、空には花とも見まごう星がきらめいた。
そして。朝になってもモミイチには、それが夢だったのかどうかわからなかったのだが、その夜の銀河の星屑をけって、ツキスミが現れたのだ。ジプシーたちの奏でるオーケストラの音色にのって、どこまでもどこまでもキキョウや星の花束をかかげて、ツキスミに乗ったモミイチは星の花野を駆けていった。
 
なつかしくせつないようなこの最後のシーンを子ども心にも美しいと思った。ふんだんに出てくる高原植物の名前を辿り、実際に見てみたいと憧れた。この本は、私が初めて読んだ常体の本だった。大人になったような気がした。作者庄野英二は、植物に造詣が深い。単行本では作者が描いた植物のスケッチが添えられている。ただし、コメツブシロハナのみは、創作であるらしい。小さな白い花の咲く樹を思いつかなかったとか。
ジプシーたちというのは、モミイチの夢だったのかもしれないし、そうでないのかもしれない。でも山の自然のお花畑に、季節ごとの花を追って、ハチの巣箱を背負って旅し、蜂を飼うクラリネットの生活に私は憧れた。それ以来、実現可能性はともかく、蜂飼いになるのはひそかな私の夢なのである。
 

 
 
 
 
 


  

 
 『星の牧場』
庄野英二/作
長 新太/絵
理論社(1963年)
 
 
 

 
同上(2003年)