第3回
 

スウェーデンの農村で過ごした子ども時代の日々の記憶をもとに描かれた3冊の本である。北・中・南の3つの屋敷しかない小さな村に住む子どもたちは、夏は光の中で遊びまわり、冬は雪を踏んで大きな村の学校に通う。クリスマス、大みそか、イースター、春、夏至、秋、収穫。季節は変わるけれども年は廻らない、いつまでも続く子ども時代の物語。
語り手は中屋敷の娘リーサで、兄のラッセとボッセがいる。北屋敷にはブリッタとアンナの姉妹、南屋敷にはオッレ、のちに妹のケルスティンが生まれる。ときには男の子、女の子で対抗したりするけれど遊び仲間の5人は、カブラ抜きや干し草つくりを手伝い、子羊を育て、イヌやネコを可愛がり、いたずらをしたり羽目を外して怒られたりする。森、湖、春になると水びたしになる牧場、果物の実る庭を舞台に、北欧の子どもたちの日常が描かれる。
大塚勇三の翻訳は、版を重ねるロングセラーである。私も子どもの頃から「やかまし村」のシリーズを愛読していた。というよりは、このシリーズに「住んでいた」といってもいい。それほど、リーサたちの日常は、繰り返し読むことで私の世界の一部になっていた。大塚の翻訳の特徴は、植物名を見事にぜんぶ、日本にある近種のものに置き換えていて、スウェーデン語や英語をカタカナにしたままではないところにある。そのためひょっとしたら私の脳内やかまし村には、昭和後半の日本の草花木花が繁茂していたかもしれない。
  
 
やかまし村の木々
中屋敷と南屋敷の間には、大きなボダイジュがそびえていて、その枝は男の子たちの格好の通路になっていた。いちいち階下に降りて玄関に回らなくてもラッセとボッセはオッレの部屋に直接行き来ができたのである。伐採の話が出た時も男の子たちが騒いで取りやめとなった。西洋ボダイジュ(リンデン)はシナノキ科で、葉をハーブティにする。日本でいうボダイジュはクワ科、お釈迦様が悟りを開いたのは後者のほう。
ザリガニ取りは朝が早い。この時ばかりは子どもたちも野宿を許される。即席の小屋はモミの木の下、垂れ下がった枝を屋根として、ネズの枝をまわりに並べて壁にし、床にモミの小枝を敷き詰めてその上で寝るのだ。北欧の森の針葉樹の香りがしてきそうな一場面。「敷き詰める」というのに憧れた。
家出をしてみようと考えたアンナとリーサは、真夜中にこっそり出かけようと思い、眠り込まないようにベッドにネズの小枝を入れておいた。しかしちくちくして眠れないどころかぐっすり寝込んでしまい、家出計画はとん挫。固い針のような葉をネズミ除けに使ったことからネズミサシと呼ばれ、それがネズになったという由来からもわかるように、ちくちくする葉っぱの針葉樹である。
 
 
やかまし村の花々
北国では春を告げる花々はことに喜びをもって描写される。キバナクリンザクラ、ユキノシタ、キバナノアマナ、ヤブイチゴ、ユキワリソウ。子どもたちは摘んだ花で学校の教室を飾り、春の到来を祝う。
うららかなある日、アンナとリーサは小川の中に木箱を置いて座り、ウワミズザクラの花の下でお姫さまごっこを楽しんでいた。ユキノシタ姫とサクラソウ姫になりきったふたりは、水の中に見つけたカエルにキスして王子さまに戻してあげようと考える。しかしキモチワルイ。ふたりで譲り合いしているところを他の子どもたちに見つかってさんざんからかわれる。ウワミズザクラの花の香りがあまり強くて、ふたりはちょっとのぼせていたようだ。春の陽光と、花の香りは官能的で、子どもでも酔ってしまうほど。植生を考えるとこの花はエゾノウワミズザクラだろう。英語名bird cherry。白い花が咲くバラ科の木であるが、香りがどんなものかはわからない。
夏至の前日。花咲くリラの枝を柱にくくりつけて夏至の柱をたて、お祭りがおこなわれる。リラは今ならライラックと呼ぶ方がわかりやすいかもしれない。初夏に咲く薫り高い薄紫の花。夏至の前夜は、垣根を九つ乗り越え、9種類の花を摘んで枕の下に入れて寝ると将来結婚する相手の夢を見るという。その間は笑ってもしゃべってもダメ。女の子たちが挑戦するのをとことん邪魔していやがらせする男子。リーサが摘んだのは、キンポウゲ、ミヤコグサ、カワラマツド、フウリンソウ、ヒナギク、ユキノシタ、ハンニチバナ、あと二つ知らない花だった。この話を読んで、私も夏至の前の日、花を集めようとしたのだが、六月の末の日本で9種類の花は到底見つからなかった。夏至は北欧では一年で一番いい時期だが、日本では野の花を集めるには暑すぎる。
人に花束をあげるためにエリカの花を摘む子どもたち。エリカはヒースの花の園芸名である。野にヒースが咲いているということは荒涼な地であるということ。エリカではちょっと雰囲気が違ってくる。
 
 
やかまし村の果実
野イチゴ摘みは子どもの楽しみ。群生している場所は子どもの秘密。たくさんとった野イチゴは、わらにとおして砂糖とクリームをかけて食べる。わらにとおして持つからストローベリーなのだ。砂糖とクリームをかけるのは西洋の習慣だけれど、野イチゴにかけるのはなんだか野生の味がなくなりそうでもったいない、と思うのは都会人の感傷か。
村の家の庭には、スモモ、リンゴ、サクランボの木があって夏から秋にかけて実りの季節を迎える。ある年、サクランボが豊作で、そのまま食べて、ドライフルーツにして、それでもまだまだ取れるものだから、子どもたちはサクランボ会社を設立し、町に通じる大通りに出かけて車で通りすぎる都会の人たちに売りつけた。売られたサクランボはストックホルムの人たちの食卓にジャムになったりパイになったりして届いただろう。
 
 
楽園の植物
やかまし村は子ども時代の楽園だ。そこにはちょっとだけ意地悪な人はいるし、厳しい豪雪のため帰れなくなったりもするけれど、ネズの枝のトゲトゲすら子どもたちの眠りを妨げない。植物もみな彼らの仲間であり味方だ。子どもたちを楽園から追い出す禁断の知恵の木の実はここにはない。

 
 
 
 
 


  

 
『やかまし村の子どもたち』
アストリッド・リンドグレーン
大塚勇三/訳 
岩波少年文庫
 
 

 
『やかまし村の春・夏・秋・冬』
同上
 
 

 
『やかまし村はいつもにぎやか』
同上